人類大系序説
フリードリヒ・ニーチェ

「人間は、乗り越えられなければならない何かである。」

フリードリヒ・ニーチェ

1844年10月15日 - 1900年8月25日。ドイツの思想家であり古典文献学者。実存主義の思想家の一人。ギリシャ哲学の系譜を受け継ぎ、人間が真に生きる道を探究した。スイスのバーゼル大学教授となって以降はプロイセン国籍を離脱して無国籍者であった。主著に『ツァラトゥストラはかく語りき』等。

カール・ヤスパース

「人間とは、自己の能力を越えたところに使命をおく存在である。」

カール・ヤスパース

1883年2月23日 - 1969年2月26日。ドイツの哲学者、精神科医。ハイデルベルク大学で精神医学の教鞭をとり、精神医学の方法論の改良に目指した。哲学分野に転向後、概念によっては捉えがたい真理の永遠性のもとに人間存在の超越性を追求した。主著に『精神病理学総論』『理性と実存』等。

エトムント・フッサール

「われわれは、自己の存在を知ることのできる唯一の存在である。」

エトムント・フッサール

1859年4月8日 - 1938年4月27日。オーストリアの数学者、哲学者。数学基礎論の研究から哲学へ転向、事象そのものを把握し記述するためのアプローチとして「現象学」を提唱し、19世紀哲学に新たな潮流を生み出した。主著に『現象学の理念』等。

ジャン=ポール・サルトル

「人間とは、自らそれを作り出すところのものである。」

ジャン=ポール・サルトル

1905年6月21日-1980年4月15日。フランスの哲学者、小説家、劇作家。フッサールに師事し、無神論の立場から「実存は本質に先立つ」と主張。文学者の政治参加を呼びかけた。自らの意志でノーベル賞を辞退した最初の人物。主著に『存在と無』『嘔吐』等。

第一部「人間」

世界創造ははじめに始まったのではなく、終末に終わるのでもなく、いつでもわれわれによって起こる。自己を自己自身で生産することによる現在が、同じく永遠という鏡を通して帰還し、未来および過去の格好をしてわれわれを貫いて打っている。精神の活動の中に去来しているものがその折々に現在である。人間は個体的な宇宙であり、宇宙的な個体でもある。それは無であり有でもあり、どの計算にも入り得ない無限大として、しかも私たち自身により全領域に現出する。現実より前でも後でもなく、現実そのものとしてわれわれは現れ続ける。
個別のものの中に現れるのは普遍的なものである。実体がないということの中にすべての意味が発揮される。人間という無限大の上に新たな無限大が築き上げられ、向上そのものが再び向上していく。上と下が一つになり前進する無限大がふたたび全体である。いずれの点も一つの方向並びに他の方向に通過するばかりでなく、両方向で同じ点として存在している。過去と未来のいずれの方向も存在せず、出発点はただちに終点に等しい。静止したまま消滅することなく成立しつづけるゼロ次元への復帰。それが人間の描く円環である。
われわれの人生は何かの続きであり、その記憶は肉体が生まれる前にも後にも続いている。実現されつつある現在が、過去的な因果関係をさかのぼって開示される。決して方向を持たず、まったく全体に向かった、しかし同時に成立し続ける形のない統一。すべての現象が作用であると同時に結果であり続けるという無限の連なり。この巨大な作業がはるか遠い次元を出発し、私たちを貫通して行われている。魂は個体を通してさらに高い次元の集合となり、それぞれの力を解放しつつ全体としてより高い段階へ回収される。人類は宇宙にさまよう永久機関の一つである。
自己とは創造でありながら、まったき存在の一片にすぎない。ゆれうごく海上をただよう一片の泡のように、命は一つでありながら全体である。特定の人間とは重ならず、まさに過去と未来を同時に生き返らせつつ、死によって行われる再結集とふたたび新たな伝達。この意志の形成は銀河を吹き抜ける風のようにあらゆる階層を通じてそうあり続けてきた。繰り返されるゼロは虚無ではなくむしろ一切に等しい。無限に対して開かれながら未だ何ものでもなく、かつ全体を期して静止している状態。この意識をはるかに超えた停止の中にわれわれは生まれる。生まれることは死ぬことによってのみ可能となる。それ自身として一切の可能性を備えつつ、同時に開放している大いなる源。そこに待ち望んでいるのは無数の光である。魂は光として生まれ、使命を果たしてまた光として戻っていく。
自己を知るとは、魂の歴史的方位を知ることである。なぜなら魂の更新はこの瞬間にも進行段階にある。永遠を通して個体的なもののなかに人生が配られ、未来からの配慮があまねく行きわたる。いずこから打ち寄せる事実の羅列が、それぞれの可能性を保持しながら一人ひとりの人間の中に畳み込まれていく。記憶はふたたび再修正を繰り返し、万有の力へと集約された魂が根源にさかのぼり永遠化されてゆく。ひとびとの存在は根底に通じて関係しており、この基盤において人類は一つである。
われわれは生まれた瞬間もそのあとも宇宙と平衡状態にある。現世はいずれの瞬間にも存在せず、今ある世界は過去にも見たことのある魂の記憶である。決して意識にのぼらず、しかし常にそこにあり、われわれを通して映し出される鏡のこころ。宇宙に流れる座標の一つの対立点としての私。それは光の結晶のように重ね合わされ保存される。力強い息吹がわれわれの命を一新し、押し寄せる記憶が全霊を通して語りかける。その反復は全生命の領域に広がっている。波形の痕跡がひとびとの記憶として人類の発展という大きな内容に組み込まれていく。人間という保存行為の燃焼が、眺められる想起の中に宇宙の絆となっていく。
人間とは何か、それは個人と人類との間の必要欠くべからざる絆である。個々の努力の中に全体としての意識を保つとき、われわれは大きな思想と澄み切った自己に羽ばたくことができる。集中と投射、この二つの翼に乗ることでわれわれは無限の向上に昇ってゆくことができる。そしてそれは真の人生に向かう道でなければならない。静観の高嶺に登ってはじめて、自分が本当の自分になったように感ずるだろう。
連帯性の観念を切断してはならない。なぜならそこには私たちが星とともにあった頃の思い出が記されている。自らの存在が永遠の相と繋がるように消滅するものの中に持続する状態を見つけなさい。過ぎ行くもののうちに永遠を見出し、救いの理解をさらに精神的なものにしていきなさい。正しい軌道はただちに魂との交通に入り、自らの永遠の実存を自覚してゆく。
重要なのは魂の傾向である。あなたの魂の内でもっとも清らかなところに響くものの跡をたどりなさい。そこでは人間の精神は遊星が空をめぐるように神の中をめぐっている。魂が本来の軌道を取り戻すとき、過去と未来は同じこととして打ち消し合う。視界を越えた光の威力がわれわれを貫き、自己の領域を超えた呼び声がふたたび真理を問いかける。体験者にとってそれは意識の外でなく内側として感じられ、さらに自己を超えた意識として汝を突き動かすだろう。
宇宙には正道が一本貫いている。それは心である。この目に見えない統一はわれわれを突き抜けすべての領域に偏在している。自分を全体そのものとして感じなさい。宇宙と同じことばで全身を包みなさい。そうすれば真実は個人と一致し、さらには人類そのものを捉えていく。具体的な統一に帰したときにのみ、われわれはすべての相関を突き抜けて時間の外に出ることができる。
人生は、無限より押し引く情緒である。それは封印された記憶から寄せてくる波のようなものである。われわれの意識は現世に始まらず、いずれの段階で終わることもない。現存するものはことごとく以前にも存在したし、未来においても存在した。そのことが予言の機能を帯びるようにまで現実になるとき、莫大な遺産があなたの涙の中を流れるだろう。
歴史が始まる遥か昔から、人間は大宇宙の呼吸であった。そこで聞いた歌声を思い出しなさい。あなたの記憶の消えるところに故郷がある。心は宇宙と同じ色をしている。それが夜空の星々が汝に向けて輝き続ける理由である。

第二部「失敗」 →