「自由と責任。そのためにのみ人間は創造せられたのだ。」
タグ・ハマーショルド
1905年7月29日-1961年9月18日。スウェーデンの政治家。第二代国際連合事務総長を歴任、人類救済に尽力した(任期:1953年4月10日 - 1961年9月18日)。在任中の飛行機墜落事故で死亡。没後にノーベル平和賞が授与されている。著書に『道しるべ』。
「人間はたった一度、二つとないあり方で存在している。」
ヴィクトール・フランクル
1905年3月26日-1997年9月2日。オーストリアの精神科医、心理学者。第二次世界大戦のホロコースト生還者。患者が自ら生きる意味を見出す手助けをする、実存分析的心理療法=ロゴセラピーの提唱者。主著に『死と愛』『夜と霧』等。
「あなた自身を与えれば、与えた以上のものを受け取るだろう。」
サン=テグジュペリ
1900年6月29日-1944年7月31日。フランスの小説家、飛行家。飛行家としての経験を素材に、豊かな想像力と人間の本質を見極める観察眼で、詩情豊かな名作を世に出した。第二次世界大戦中の出撃後に消息を絶ち、未帰還となった。主著に『星の王子様』『夜間飛行』『城砦』等。
「与えることで貧しくなった人はいまだかつて一人もいません。」
アンネ・フランク
1929年6月12日-1945年3月12日。ユダヤ系ドイツ人の少女。ドイツ労働者党(ナチス)の迫害から逃れるためにオランダへ亡命。二年間に及ぶ潜伏生活の間に書き綴った『アンネの日記』はアンネの死後出版され、世界中でベストセラーとなった。
第四部「責任」
われわれは人類が歩んできた歴史をその生涯の中にたどる。そこには時を越えた創造が現れており、それは単に創られるということではなく自己自身を創るという行為的な意味を示している。自己自身を向上させて強化するこの無限の系列には最初の項もなければ最後の項もない。その無限の領域において神々の意志が秘かに火花を散らしている。最高度の完成を目指して大いなる力に至る道をわれわれのために示している。しかし人間がその内なる声に耳を傾けることをしなければ、いったい誰が運命に語りかけることが出来ようか。
人間は生きなければならない。より高く美しき理想の建設のために。それがわれわれに与えられた唯一の責任である。すべては一切の理性を超えたところに源を発し、運命はわれわれの頭上を越えたところで決定されていく。そこには人類によって生き抜かれてきた一切の局面の、現在への働きかけが関係している。人間精神に何らかの形で意識されている一体的なもの。共同体への方向において個人の意味はそれ自身を超越してゆく。また個人としての意味も、それ自身の限界を超えて共同体を指し示す。そのわずかな間隙のうちにただ一つの道が見出される。
しかしそこには既に火の手が上がっている。天界の響きを聴いた者は、ただ手段としてのみ差し出すべき自己の存在に思い至るだろう。死から生の灰を取り出し、自己の生命をさらなる永続的なものと差し替えること。それが自分の生まれる前から繰り返されてきた人類共通の約束であり、当然守るべき絆であることをたしかな経験として知っている。
自己と意志、その両者が余すところなく一致し、主体と客体の境界線が引き下がりついに消滅した最高点が汝である。受容と賦与が一体となり円環を成してまさに一つになるとき、大いなる心が流れ込む。しかし同時にそれは自己の概念の焼失を意味する。自己の忘却によって得られる運命に対する信頼。そこでは目的としての自己は姿を消していき、ただ手段としての自己のみが高まっていく。躓きの石としての自我を脱却し、成就したものとしての自我のなかへ入っていく。相関を一度突き抜けた者には、神の意志と自己の理性とが一となる瞬間が訪れるだろう。個体の全面的自己に行き着いた魂にとって、永遠に生きつづける巨大な自己創造の一部としてのみ自身を眺めるに至る。
われわれの夢見るなかで、もっとも気高い夢は身を滅ぼすことである。自分の聖杯を余すところなく飲み干すことのできる者が、他人の天性をも成就に向かわせることができる。与えることによってのみ自己の存在は確かなものになっていく。それがあらゆる自己実現を意味する。差しだすべきものが尊いほど、その対象によってあなたは限りなく豊かになっていく。この事実を見据える力を持ち、正しい愛の視線の前にたじろがずに立つ者だけが自己に打ち勝つことができる。自らが永遠の一部になる、その志向の眼が清らかなほど魂は自己のうちにいっそう強い力を見出すだろう。このことを運命に身をまかせた者は知っている。
自己を守ることをやめなさい。全体の命ずるところを知り、人類の夢にあなたの最善の努力を与えなさい。あなた自身が偉大なもののための道具となるように、自己の魂を正しい位置に解放しなさい。自分の中に育った理想に、あなたが生命を吹き込みなさい。運命とは神の代理の事である。ただしその道を通って完成に赴くためには、ひとりが完全に一人きりで進まなければならない。幾多の可能性のこの偶然の出会いが自己と呼ばれる。なぜわたしなのか、そう自問するとその対象はまぼろしのように消えてしまう。
使命としての自己滅却、この大いなる力は人間の最後の核心でのみ体験できるものである。深く素質を与えられた人間には、その要求が自己自身のものとして感じられるだろう。それは苦痛であるとともに、われわれの幸福を保障する唯一のものである。その声が聞こえるように、自分の内なる泉を清澄に保ちなさい。静けさを意識に取りこみ、調和のいくばくかをその帳から聞き取りなさい。小さな生きがいを捨て去ることができてこそ、魂はかえって真のよろこびを得ることができる。自己の器を満たすことに成功した者は、無数の星々と交換しなさい。この押し上げられた充実の中に本来的な自己を生きることが許される。
自分から神を探すのをやめるとき、ふたたび神の存在に出会うだろう。そして実際には、神に導かれてこの道にふたたび出会ったのだという感情を抱くだろう。人間であることの、人間としての美しさ。そこに全人類の心の底を打って流れる偉大さがある。あなた自身がその流れを汲み、人類の歴史に栄冠を飾りなさい。天空にそそり立つ殿堂の中の一個の支石となるよう自己の命を燃やしなさい。救済をもたらす者として、それぞれに与えられた道を行きなさい。その道は敗北である勝利にも、勝利である敗北にも通じている。
使命を帯びる者はいっさいの我欲を人類のもとに差し出すだろう。その火片が人類の道を作り、地上の人間生活に新たな天と地を創るだろう。返還の要求に応えることがあまねく成就の条件であった。その大いなる力が精神の扉を開き、ひとびとを真正の国家へ招き入れる。正しい感化によって解放された魂は、大いなる記憶の跡をたどっていく。周囲から独立して自らの天命を識別し、むしろ天命によって導かれていく。その奇跡は過去と未来にわたり、同心円的に波及して同時に帰還していく。
いかなる次元に広がる時間の中で、この感情は永遠に生き続けるのだろうか。生と死のあいだにはいぜんとして境界線がある。しかしその境界線の彼方に、われわれは始原となりうるべきものを予感する。人間の高みに受け継がれてきた巨大な総体、その系列を通じてあふれるばかりの意志力が生命を通して語りかける。精神はよくするところにいぶき、われわれの姿を探し求めるだろう。人間が大いなる自己へと高まることによって、魂は一段と高い上昇をのぼり詰めていく。
偉大なる責任のもと、われわれは互いに手を取り合って進んでゆく。永遠の死である生においても、常に再生である死においても。広大な水面に雨のしずくが降りかかっては作り出す、まるく広がってゆく波紋のように。未来からの響きが魂の所在を問いかける。音なきことばが、神性の飛躍の中で威光をかがやかせて鳴り響く。